top特集早稲田大学OB・OGインタビュージャーナリスト 田原 総一朗さん

早稲田大学OB・OGインタビュー ジャーナリスト 田原 総一朗先輩


 学生時代に同人誌をつくってらしたとお聞きしました。どのような同人誌をつくってらしたのですか?

 色んな同人誌をはしごしましてね。それで、どこにもものにならなかった。僕は最初二部(第二文学部)に入りました。それは、一つは家が貧しかったので、昼間働けるとこに入ったの。それで、早稲田に入れればいいと思っていたの。卒業する気はまったくなかった。色んな新人賞にね応募して、それで新人賞をとって作家になるのが僕の夢だったの。それで早稲田に入った。そして早稲田の同人誌を三つぐらいはしごしたの。それでね、どこでも誉められなかった。いくつか新人賞に出したけど通りませんでした。(笑)
あるところで文才について書いてあって、「文才を持った者が努力するのが、これが努力といって、文才がない人間の場合は徒労というんだ。」って。(笑)
それで、ある時、石原慎太郎の「太陽の季節」ってね。これ店頭で読んでまいったなと。僕なんてやっぱり古い文学少年、古い私小説ね、実は当時ねsexなんて全然経験ないので、本当に僕のは古い小説だった。石原慎太郎はね、まさに今の青春を正面から描いた。僕なんてね、悲しい話そういう世界まったく知らなかった。
それで、まあ半分挫折したと。
それで、大江健三郎がでてきて、「死者の奢り」ってのがあって。それでまたまいったなあって。大江ってのは小説のうまい男で、ある時たまたま死体の解剖を見て、それで(小説)を書いちゃった。その文体が大江独特でね。これはもう駄目だと思って。それで挫折して就職しようとした。それで会社辞めて、就職するならって、二部から一部(第一文学部)に入りなおしたの。でも入りなおしても学校には来なかった。(笑)
それはね、会社辞めたちゃたから稼がなくちゃいけないんでバイトしてたの。最初はいろいろやったけど最終的には学習塾をやったのよ。塾の卵のようなものだけど、家庭教師をやっていて、でもいろいろやると面倒だから。それなら一つにまとめたらどうだろうって。で、初め六人ぐらいから始めて、多いときは20人ぐらいいましたよ。それでね、僕は学校というのは勉強するべきところでもあるけど、僕は友達をつくる場だなぁと思いますよ。早稲田でできた友達と、僕は今でも付き合ってますよ。そして、友達を作ることによって、友達に刺激されて本を読む場だなぁと。僕は本を乱読しましたね。

 田原先輩いろいろな活動をされていると思うのですけども、僕は田原先輩の職業をジャーナリストだと思っているのですけども、ご自身はどう思われているのですか?

 ジャーナリストでいいんだけども、テレビに出てるでしょ今。あれは一応社会的に言うとキャスターなんだね。でも僕はキャスターだと言う気は全くなくて、ディレクターだと思ってる。そのディレクターが表に出てきてるだけだと思ってる。意識としてはディレクター。
書くときは・・・ジャーナリストというよりもむしろノンフィクションライターだと思うね、僕は。フリーだもん。

 それでは、ノンフィクションライターとして仕事をする際に、まずこれをしようということはありますか?仕事をする際に気をつけることはなんですか?

 好きなことしかしない。フリーライターは一穴主義が一番良いから、大体ひとつの穴を掘り続ける。例えば、人の伝記なら伝記だけを。歴史なら歴史だけを。あるいは社会問題なら社会問題だけを開拓。そういう一穴主義。
僕はいろいろやるから。先端技術もやるし、企業もやるし、政治もやるし。そういう風にね、あちこちをふらふらした。コンピュータもやったし、ロボットもやったし。いろんなことに手を出した。損だとよく言われるけど、そういうのが今の僕の肥やしになってるね。
 −若いときにいろいろなことをやっておけ、ということですか?
 好奇心ですよ。人間で一番大切なものは好奇心だと思う。好奇心を失ったときにね、人間はやっぱりリタイヤですよね。好奇心がある限りは現役だと。僕はずいぶん年だけどね、幸か不幸か好奇心が強い。まだ好奇心失ってないんで。新しいものを見つけたいと。あるいは古いものの中にも人がね、見つけてないものがある。
つまりね、僕はふたつの点があれば◎、ひとつの点があれば○、ふたつなければ×だと思ってる。
ひとつが、人が書いたことのないことを書く。あるいは、人が扱ったことのないもの。
もうひとつはこれまでの人がやったことのない切り口をみせる。新しい見方。いろんな事件をいろんな人が書いてるけど、それに対して新しい見方、切り口をどーんと出す。
一番いいのはそれまで誰もやったことのないものをやる。しかもそれがとっても新鮮な切り口。これが◎。
だから未だに、サンデープロジェクトで、三木谷氏が出てたんだけれども。生で。僕は三木谷とも前から何度も会ってる。それは好奇心ですよ。堀江とも有名になる前から堀江氏を良く知っている。孫さんもそうです。今から10年以上前に、孫さんがはじめてソフトバンクつくった。それで僕は日本ではじめて彼を取材した。
 −どういうきっかけで無名時代の人に取材をされたのですか?
 好奇心。(笑)誰が面白いのかと。何をやってるのかと。いろいろとね。見つけるんですよ。

 なるほど。それでですね、早稲田祭に関する質問なんですが、早稲田祭にどういうものを期待されますか?

 とにかく学園祭も毎年やっているとマンネリ化するよね。それでマンネリってのは一番面白くない。だから今までと違う、少しでもいいから違う学園祭どうできるかどうかが勝負でしょうね。
 −学園祭も来るたびに、新しいものが見える。そういう学園祭を期待すると。
 そういうことですね。

 わかりました。もうひとつだけお聞きしたいのですけれども、学生の間にこれだけは絶対やっておけということと、これだけは絶対にやるな、ということがもしあれば、お願いいたします。

 自分が生まれてきて何をやりたいのかっていうことはつかんでおく必要はあるね。自分が何をやりたいんだろうっていう。それはだけど、つかんでもね、学生時代につかんだものはすぐに変わると思う。変わったっていい。僕は好きなことをやるのが人生だって思う。好きなことってなかなか見つからないんだよね。だから学生のときは暇なんだから、好きなことはなんなのか、というのをつかむこと。
それともうひとつ、英語をマスターすることも圧倒的に重要だね。

 ありがとうございます。それでは、最後になるのですが、今振り返ってみて早稲田大学とはどのような大学でしたか?

A あのね、構内にいたときはね、雑踏みたいな感じだったんだけど、でもだんだん歳をとってくると、我が心の故郷のように思えてくる。
だから今、社会還元しようとして大隈塾やってるの(笑)。

 −わかりました。今日はお忙しい中、ありがとうございました。




プロフィール

田原 総一朗(たはら そういちろう)
1934年4月15日生まれ B型
ジャーナリスト
滋賀県彦根市出身
早稲田大学文学部卒
岩波映画製作所を経て、フリーとなる。
ATG映画「あらかじめ失われたものたちよ」の制作・監督を務める。
現在、母校の早稲田大学の「大隈塾」の塾頭、特命教授を務めるなど、精力的に活動中。

テレビ朝日「朝まで生テレビ!」、「サンデープロジェクト」に出演。
著書に「日本の戦争」、「日本の政治」、「日本の戦後 上下」等、多数。
2005年7月に季刊「オフレコ」創刊。
「田原総一朗自選集T〜X」発刊。


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