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北村晴男先輩 - 早稲田大学の学園祭「早稲田祭2007」


         
氏名

北村晴男(きたむらはるお)

生年月日 昭和31年3月10日
最終学歴 早稲田大学法学部
司法試験合格年 昭和61年
専門・主な担当事案 生命保険法(生命保険金、各種給付金の支払いをめぐる紛争)
損害保険法(主に交通事故)、債権回収
その他一般民事事件
血液型 AB型
著書 河出書房新社「くらしの法律相談」   等
北村晴男先輩

―弁護士になったきっかけは?

僕ははっきりしてます。もともと性格的に、会社などの組織に入って上司の言うこと聞くのは合わないと思っていたんですけど、 直接のきっかけになったのは、札幌地裁が出した自衛隊違憲判決ですね。
当時高校二年生だったんですけど、衝撃を受けました。僕は当時憲法9条を読んで自衛隊は違憲だと思っていました。 今はそんな単純なものじゃないと思っているし、考えも当時とは全く違う。
だけどその裁判官が信念に従って判決を出したことでマスコミや世間に大きな波紋を起こしたことは事実です。 そのことに感動したんです。僕たち一人が『あれが正しい。』『これは間違っている。』と言っても誰も何も聞いてくれない。 例えば会社に就職すれば、企業の組織を背景にして影響力を及ぼすことができるかも知れないが、それは性に合わない。 弁護士になれば、たった一人で大きな影響力を及ぼすことができる。そう思って弁護士を目指そうと思ったんです。

―早稲田大学でどんな大学生活をおくっていましたか?

在学中は長野県出身の学生のための寮に住んでいました。そこで毎晩、お酒と麻雀を楽しんでいました。あとはダンスパーティ! 他大の女の子目当てに友達といろんな所のパーティに行っていました。ダンスパーティと言っても競技ダンスとかじゃなくて、 ミラーボールとかがある軽い感じの。女の子は誘われたら断われず、一曲は踊らなければいけないという暗黙のルールがあるんですよ。 今から思えば、最高のルールですよね。いやぁ〜楽しかった。
1,2年の間は全く勉強しなかったなぁ。授業も出なかった。当時の法学部は野放しだったしね(笑)
そもそも、司法試験に受かるための勉強は授業受けなくても一人でできるじゃない? 僕は司法試験を受ける、就職しないと決めていたから、肌に合わない授業はまぁ…いいかなと(笑)
ただ、4年で卒業するために過去問集めたり、友人と助け合ったり試験前に要領よく勉強して単位だけは取っていましたよ。 とにかく成績は関係ないけど単位は落とさないようにって。
サークル活動としては友人が作ったソフトボール愛好会に入りました。そこでいろんな人と知り合えました。 気の置けない友人も得ることができ、とても楽しかったです。

―大学外ではどんな活動をしていましたか?

家庭教師と塾は比較的短い時間で稼げるじゃない。当時、時給もすごくよかったし。 塾講師のほうが手っ取り早いしいいなって思って茨城県の方で講師をしていました。 その頃から、司法試験合格までは卒業してから最低3,4年はかかると思っていました。 その間就職しないで勉強し続けるためには、塾を自分で開くしかないと思って、埼玉の和光で個人塾を開きました。 父親の方針で僕は親に頼らずに自活していかなければならなかったんです。雇われ講師より、自分で開いた方が、生徒の数だけお金が入ってくるからね。 でも、13万かけて新聞折り込み広告を出したのに、最初来たのは一人だけだったんですよ。 その後は生徒がどんどん増えて、生活できるくらいには稼げました。

―その塾はいつまで続けていたのですか

結婚する28歳まで続けていました。結婚が決まったら、父親が『相手に迷惑をかけられない。』といって援助を申し出てくれたので、 それからは勉強に専念しました。29歳で子供ができたこともあって、30歳で司法試験に受かることができました。

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