うんこ
どうだ、面白いだろう?私がエビドリア伯爵である。今日はうんこがどうして、如何様にして面白いのかを検証していこうと思う。これは皆さんの人生にもかかわる問題であるから、最後までじっくりと読むのだぞ。
さて、うんこは面白い。
これはもはや自明である。
うんこに関することで笑ったことがない人間は私の知る限り、おそらくいない。
インドにて、友人が子供たちと遊んでいるとふとした拍子に少年が転び、なんと道端に落ちているウンコにダイブしてしまっていたのだ。
「大丈夫かっ」と手を差し伸べると少年は満面の笑みを浮かべ、友人にうんこをつけたのだ。
うむ。。。
言葉の壁、思想の壁、民族の壁を乗り越えてうんこは面白い。なぜだろう?
それはうんこが、かわいいからである。
ウンコをまじまじと見つめてくれ。うんこは実に愛らしい丸みを帯びていることがわかるだろう?
おなかの調子が悪いときを除いて。
わからないか?
丸みを帯びたものは一般的にかわいいイメージを持っている。たまにつんつんしたものをかわいいという人もいるが、一般的には丸みを帯びたものがかわいいという意見を持つ人が大多数を占めている、これは私たち人間のデザインが角の立っていない事に由来するのであろう。うんこは今にも握ってくれといわんばかりの丸みだ。
ここで注意したいのが、うんこがかわいいあまり、本当に握ってしまうことだ。何もそこまでしなくても、他にかわいいものなんて山のようにあるのだから・・・。
と、ここに第二のポイントが潜んでいる。
うんこは汚いのである。触ったらばっちいのである。かわいいのにもかかわらず、だ。禁じられた恋ほど燃え上がるように、かわいいのにさわってはいけないウンコほど、面白いのだ。
忘れてはいけないことがある。人は汚いものがキライである。それはそうだばい菌だらけになればなるほど、死の危険性が高まるのは言うまでもない。本能的に汚い、と思うものを嫌い、さげすんだ目でみてしまうのだ。
ふざけるなっ
うんこは私たちの汚れをその一身に背負って、トイレに身投げしてくれているのである。その男気に気付かずにうんこを踏みにじるなど、私は許さん!
うんこには敬意を払っていただきたい・・・!
最後に、自分から排出されるのにもかかわらずコントロール不可能なところにあると私は考える。
誰も明日のウンコを知る事かなわず。
もしかすると明日、電車の中で突然エマージェンシー状態になるかもしれない。好きな子とデート中に、サイレント★屁(マナーモード)をうまくかましたと思った刹那、実は直腸に本陣が控えていて大変なことになるかもしれない。階段を下りようとした瞬間、魔界の門が音を立てて開き、アルマゲドンが始まるかもしれない。
実はこの要素が一番重要である。音楽で言えば、おなじ曲でも演奏の仕方、構成やリズムのとり方などで、まったく違ったテイストになるし、同じ脚本でも役者や演出によって別モノになることもある。逆に言えば、全く同じものなど飽きてしまうのだ。そこには何の意外性も創造性も見られないからである。
意外なところでうんこはやってくる。そして僕たちはトイレにさまざまな方法で駆け込むのだ。決して同じうんこなど一日としてないだろう。
だからこそ、面白いのだ。





