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丸山和也氏インタビュー

丸山先輩が早稲田大学に在学中の頃は、早稲田はどのような時代でしたか?

僕らが在学中の頃は、学園紛争っていうものが結構あってね、学費の値上げ反対とかね。だからまぁ、大学は荒れてたね。今は少なくなったけど、当時は看板がいっぱいあったし、立て看板がたくさん立っていたよ。それで学内では、演説とか集会がしょっちゅうあって、騒々しかったね。そういった状況の中で、学部封鎖とかがあったりもして、半年かそこら授業がなかったこともあったね。だから、テストがなくてレポートだけってこともあったよ。まぁ、大学が賑やかっていえば賑やかだったね。

丸山先輩は、在学中、新聞奨学生でいらっしゃったとお伺いしたのですが?

一年生か二年生の頃だったかな、1年間くらい、奨学生だったね。

奨学生ということは、模範的な学生だったのですか?

いやいやいや、そんなことはないよ。ただ、ちょっとアルバイトをして、お小遣いが欲しかっただけ(笑)。

丸山先輩が、早大生時代に熱中していたことは何ですか?

やっぱり、一、二年生の時は学園紛争が激しかったからね。そういうのに巻き込まれたり、集会に行ったり、デモに行ったりと色々していたし、それから、部活っていうか、文化系のサークルをちょっとやったりもしていたね。三年生くらいからは、司法試験の勉強をやり始めたから、あとはそっちの方にのめり込んだ感じだったね。

司法試験のために、ダブルスクールとかには通っていたのですか?

それが、当時は予備校がなかったんだよ。まぁ、大学ではそういうような法律サークルがそれぞれあったりはしたんだけどね。僕は、そういうサークルに入らなかったから、仲間うちで何人か集まって勉強したりと、そんな感じだったね。

在学中、サークルでは、どのような活動をしていたのですか?

 サークルはねぇ、文学部中心の歴史研究会っていうのに入っていたね。やっぱり、文学部ということで、女の人が多かったね。入会の狙いにはそれもあったんだよね(笑)。そのサークルでは、合宿に行ったり、色々と楽しかったね。だから、学生生活の前半は、そういうがやがやした感じの毎日で、後半は司法試験一本集中。そういう感じの大学生活だったね。

インタビュー風景

メリハリをしっかりつけて、学生生活を送っていらっしゃったのですか?

結果的にメリハリをつけることができたね。司法試験の勉強なんかやりだすと、朝から晩までずっとそればっかりでしょう。図書館に入っても、学校に行っても、ずっとこもりっきりなんだよ。そういう生活だったからね。まぁそれはそれで、華やかじゃないんだけれども、挑戦するという意味で、目標に向って努力するみたいな仲間意識もあったし、青春の想い出としてはね、自分自身、よくやったっていう感じはあるよね。

もしも、今、学生生活に戻れるとしたら一番やりたいことは何ですか?

やっぱり部活をやりたいな。何か2つくらい部に入って、部活をもっとやりたかったな。それが一番の心残りだね。運動部でもいいし、文化系のサークルでもいいし、両方やってみたいね。両方のバランスを取りながら、部活に打ち込んでみたかったって思うね。

学生時代から今までを通して、一番つらかったことは何ですか

やっぱり一番つらかったことは、司法試験をやっていて、なかなかすぐには受からなかったことだね。司法試験には、3度目の挑戦で合格できたんだけれども、1回目、2回目で滑った時は相当つらかったな。本当に、あてのない旅のような感じがしたね。

司法試験に合格してからは、アメリカに行かれたとお伺いしたのですが?

あぁ、行ったね、アメリカのワシントン大学のロースクールに勉強をしにね。日本で弁護士を3年間くらいやった後に、渡米したよ。

やはり、日本とアメリカでは、その社会形態は全然違いましたか?

 それはやっぱり全然違うね。アメリカっていうのは、法律をめぐる世界、法曹界っていうか、法律が幅を利かせている世界だよね。法律万能って言えば、万能っていうか。弁護士の数も多い国だしね。だから物事を全て法的に、ルールに従って処理していくっていうかね、そういう仕組みの非常に発達した国だな、と思ったね。

丸山和也氏 丸山 和也氏
法学部卒業。
参議院議員。
国際弁護士。
丸山国際法律・特許事務所代表。

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