
【プロフィール】
角田光代(カクタミツヨ):1967年神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修過程卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し角田光代としてデビュー。「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、05年「対岸の彼女」で第132回直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、11年「ツリーハウス」で伊藤整文学賞を受賞する。小説の他、エッセイ、紀行文なども手がける。
―大学時代はてあとろ50’という演劇サークルに所属して活動していたので、年に数回あった公演が一番の思い出ですね。大学では小説家になるための勉強をしようと思っていましたが、それは自分一人でやることなので、別に何か大勢でできることをやりたいなと思っていました。そこで、もともとお芝居が好きだった、それから早稲田と言ったらお芝居が有名だと思ったので演劇サークルに入りました。あと、アルバイトも沢山していましたよ。レストランや高田馬場にある中古CDショップで働いたりしていました。このような社会に出て働いたという経験も執筆活動の中で生きてきますね。
―幼稚園生や小学生の頃、人と喋ることがとても苦手で、私は上手く話すことができないというコンプレックスがありました。そんな時に、ひらがなを覚えて文章を書くということを覚えて、そのことがすごく楽しいと感じるようになり、また本を読むことも好きだったので作家になりたいという思いを抱くようになりました。当時、読んだ本の中で一番印象に残っている作品は、松谷みよ子さんの「モモちゃんシリーズ」の三作目「モモちゃんとアカネちゃん」でしたね。とても大きな衝撃を受けました。
―私は言葉というものはみんなの共有物だと考えているんですが、本を書くときにはその中で、自分の言葉ではないと思うような言葉や聞こえのいい言葉、自分が信じていない言葉というのはなるべく使わないようにしようと思っています。それから平日の九時から五時まで仕事をして後は一切しないということも大切にしていることですね。
―自分がデビューした二十代の頃は、文芸評論家が今とは違ってものすごく厳しくて、とにかく新人をけなすという傾向があったんですね。私も、とにかくバカだと言われ続けていてそのことを非常につらく思いましたし、このままずっとけなされ続けながら書き続けていくことはできるんだろうかと不安にも思いました。そして、周りからの批評が一度本気で怖くなってしまって、書くことができなくなってしまった時期があるんです。
―もう書けないのならば書かなくていいと割り切って、昼過ぎに起きて、とにかくお酒を飲んで意識が朦朧として眠るという荒くれた生活を送ったんです。そんな生活を三ヶ月ほどしていたら、疲れてきてしまって、とにかく書きたいなという気持ちになってきたんです。そして、何を言われたとしても、自分が書きたいと思うのなら、とにかく書こうと思うようになり、周りの目を気にせず書き始めるようになりました。
―大学生時代はそれまでの生活に比べて、自分で選べるということがとても多い分、その学生生活を本当に楽しむことができると思うんですよ。多分、大人になってから、つらいだとか嫌だなだとか思う時に、大学時代の楽しかった思い出やその時の気持ち、その時に築いた人間関係が助けてくれると思うんです。だから、大学にいる間はその日々の時間を思いっきり楽しんでほしいと思いますね。それから必ず恋をした方がいいと思うんですね。大学時代の恋愛では、たった一人で他者と向き合うという関係性を初めて経験することになると思うんです。だからそれはその後の自分の人生や考え方に大きく影響してくるんだと思います。数は多くなくていいので、ぜひ濃い恋をしてほしいですね。恋愛に関してでも、そうでない他のことでも、大学生というのは、何かみっともないことをしてもそれが似合う年代だと思うので、思いっきりはっちゃけて大学生活を楽しんでほしいと思います。
(インタビュアー:栗木麻耶)
校友インタビューTOPに戻る。
Copyright ⓒ Wasedasai2011 Management Staff.All Rights Reserved.